【美人京大卒雀士】私のまーじゃん放浪記 「あおぞら」
大切なことは全て部室で教わった 「戦わない」受験勉強法コラム
いつでも行けば誰かが迎えてくれたあの空間
しかし、この時間の概念がない空間の外では、確実にときは流れます。
部室に住んでいた先輩は、5度目の会計士試験に落ちて故郷で就職することになりました。
深夜いつでも電話したら駆けつけてくれていた先輩は、大学院研究室のホープとしてアメリカに留学してゆきました。
新入生に麻雀理論をずーっと教えてくれた先輩は、留年の期限が来て、どこかに行って音信不通になってしまいました。
ひとりひとり減っていく先輩たちに対し、入ってくる新入生は追いつかず、部室は寂しくなる一方。麻雀も4人集めるのが難しくなってきてしまい、いつしか私はフリー雀荘に行くようになっていました。
そして私が3年生になった頃、いよいよ部室を手放すことになったのです。
全自動のはずなのに一度も動くところが見られなかった壊れた麻雀卓を引き取ってもらって、麻雀牌を磨き、ゲーム機を分担して持ち帰り、みんなで掃除をします。この場所がなくなるからといって人とのつながりまでなくなるわけではないことはもちろんわかっていました。だけど、いつでも行けば誰かが迎えてくれたあの空間はもう存在しなくなるのです。
最後に、部室でいちばんダメ人間と言われていた同じ法学部の1つ上の先輩と、大家さんに鍵を返しに行きました。空がとても青い、晴れた日だったのを覚えています。
「これからどうなるんですかね、私たち。学校ちゃんと行くようになったりするんですかね」
「どうなんやろな。ぜんぜんわからんね」
「その感じだと行かなさそうですね……」
「そんな簡単には変わらないし、変われんよ」
「ですね」
それはなんだか、小さな卒業式みたいでした。
その後、私は通っていたフリー雀荘でアルバイトをはじめ、さらに麻雀が好きになりました。ちなみにプロ雀士になるのは、それから4年後のことです。
私は変わったのか、変われたのか。よくわからないけれど、今でも立ち止まったときにふと思い出すのは、米屋の2階の部室で過ごした日々なのでした。
先輩方、私は元気でやっていますよ。今度また麻雀しましょうね。
〈『「戦わない」受験勉強法』より構成〉